原点回帰 

来週、久我山に引っ越します。
しかし永福町には長く居たな~。
今日はちょっと振り返ってみることにします。

そもそも高3の時に東洋医学の道に進むと決意したことが始まりでした。
親は付属の大学に進学するのが当然と思っていたので、
特に父からは猛反対されました。

「治療の世界の何をお前は知っているんだ。」的なことを言われ、
素直に「それはそうだ。」と思い、
ならば見学に行ってみようと東洋医学の治療室に訪れてみることに。

いつも通学で西永福駅と久我山駅を利用してたのですが、
なぜか「永福町にその場所はある。」と直感し、
駅前にあった古いアパートの一室のドアを叩いたのです。

狭い部屋にベッドが4,5台あって患者さんが寝ていて
鍼やら灸の煙やら光線やらごちゃごちゃあって、
先生達は当然私のことを患者さんと思っているわけですけど、
「実はこうこうこういう理由で見学したい」と告げると、
すんなり「いいよ。」と言われ隅の方で立って見ていました。

詰襟の制服を着た子が急に現れたので、
治療を受けられていた患者さん達も笑っていたのを憶えています。
それから学校帰りに度々そこへ寄るようになったのです。

これが永福町との最初の縁。

そうこうしてたら父も諦めたようで「好きなようにしろ」となりました。
そして昼間働かせてもらい、夜は専門学校に通い、国家資格を取りました。

当時の患者さんで現在オフィスに上部頸椎ケアにいらして下さる
クライアントさんがいらっしゃいます。
先日、そんな思い出話をしました。
私が二十歳そこそこ、もしかしたら十代でクライアントさんも二十代半ば。
お互い年取りましたね~って。

その後、23歳の時に永福町のアパートの一室を借りて治療室を始めました。
当時の患者さんが大家さんで「4ヵ月後に取り壊すから、礼金敷金なしで入っていいよ。」
と言って下さったのです。
その4ヶ月間に資金を貯め、次の場所を探し移りました。

それから数年起きにヤドカリのように移り、33歳までの10年間で4ヵ所移りました。
4ヵ所目、開業して10年目で上部頸椎一本に切り替えました。
この時、患者さん達からの反対の声も結構ありました。
“首一ヶ所”ってことが有得ないと思われたのでしょうね。

それから現在のオフィスに移転したわけですけど、
結局ここには8年10ヶ月お世話になりました。
少し長く居すぎたと思っています。

それで今回“脱・永福”ということで久我山へ。

そんな中、久我山って治療を志すと決めた地なんだと最近思い出しました。
四半世紀以上掛けて原点に戻ってきたわけです。

先日、久我山を歩いてふと思いました。
高3の自分が現在の私に問いかける気がしたのです。

「それで反対を押し切ってまで始めた東洋医学どうだった?」って。

そこでこう答えました。

「東洋医学じゃなかったけど、上部頸椎カイロプラクティックと出会えたよ。
沢山のクライアントさんに支えられ、これまでやってこれた。新年からは久我山で頑張るよ。」と。



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by amanochiro | 2013-12-18 14:41 | オフィス | Trackback | Comments(0)